◆ジグソーパズル開発秘話

株式会社テンヨー 山田 昭

<まずはモナリザから始まった>
私が1960年代に初めて市場調査にヨーロッパ、アメリカを訪問した際、ジグソーパズルが一つのカテゴリーとして確立されているのを目にし、いつの日か日本でもジグソーパズルの市場を作り出したいと思っていました。そこへモナリザが1974年に日本で公開されるニュースが発表されました。これがジグソーパズルの普及のきっかけになると考え、モナリザのジグソーパズルを探して世界中のメーカーを訪ねました。

フランスのナッサン社、イギリスのワディングトン社、当時西ドイツのラーベンズバーグ社、シュミット社、FXシュミット社等を訪問し、各社のモナリザのジグソーパズルを、各地の薄暗いホテルの部屋で組んだ思い出が昨日のことのように思い出されます。その中から印刷、カットの技術、カードボードの品質がジグソーパズルの楽しさに大きく関係している事を勉強しました。そして、FXシュミット社の製品を中心に日本での輸入販売を始めました。

モナリザのジグソーパズルはモナリザ公開と同時に大ヒットとなり、ジグソーパズルは一躍多くの人の注目を浴びるものとなりました。私達はそれによって、ジグソーパズルは日本に定着したものと慢心してしまいました。時を同じくして輸入した風景のジグソーパズルはある程度は売れたものの、大量の売れ残り商品を抱えてしまいました。

また、当時の日本の社会情勢は高度成長のまっただ中、残業に続く残業で、お休みも返上して国民全員が働いていた時代です。モナリザは別として、販売店に風景の絵柄のジグソーパズルをご紹介しても、こんな時間のかかるものを誰が遊ぶのですかと、多くのお店では取り上げてもらえませんでした。しかし当時のマスコミには、週休二日制、高齢化社会の到来を予告する記事が出始めていました。余暇が出来た時、あるいは、高齢化社会が到来した時、必ずジグソーパズルが受けいれられる、こんな面白い商品が売れないわけはない、との自信がありました。


<こどもジグソーパズル誕生>
そんなジグソーパズルの普及を夢見ていた当時、発祥の地であるイギリスの文献を集めて勉強したところ、ジグソーパズルは、230年前に子供に地図を教えるため、地図の絵を彫り込んだ銅板を小さくカットし、元に戻させながら勉強させたのが始まりであった事を知ったのです。そこで私は今5歳のお子様にジグソーパズルの面白さを覚えていただければ、20年後には25歳となって、ジグソーパズルが大人の方にも楽しんでいただけると考え、日本で初めて「こどもジグソーパズル」を発売しました。ディズニーキャラクターの版権を取得して、ディズニーの絵柄のジグソーパズルを発売したのもこの頃です。その後の東京ディズニーランドのオープンで、ディズニーキャラクターの人気がますます高まり、それにつれてジグソーパズルの普及もはずみがつきました。

<品質の追求>
なぜ外国の風景ジグソーパズルが日本で売れなかったかの勉強は大変有意義でした。それは、絵柄に関しての好みが、日本人の感性とヨーロッパの感性では大きく違っていたのです。また前述の通り、ジグソーパズルの品質には、優れた印刷、抜く技術、カードボードの素材といった要素がありますが、いずれも当時の日本では確立していないものでした。印刷に関しては、高度の美術印刷の技術を持つ会社を見つけることで解決しました。カットの技術に関しては、ヨーロッパ各社の工場を訪問する事により、その技術を修得し続けました。一番の問題はカードボードの品質でした。ヨーロッパ各メーカーは、グリーンボードと呼ばれる北欧の柔らかいカードボードを使用していました。しかし日本にはジグソーパズルの歴史がなかったため、箱を作るための堅いカードボードしかありませんでした。最終的に、製紙会社のご協力を頂き、新しいチップを混ぜたジグソーパズル用の柔らかいカードボードを開発することに成功しました。

当社の製品と他社の製品とを組み比べて頂いた方ならお分かりになると思いますが、何かが違います、それは製造方法が違うからです。当社のジグソーパズルを組んで、裏側からご覧になるとわかりますが、カットラインが大変細く、すき間がありません。ピースとピースの間隔が広がると、当然ゆるくなり、間違ったピースでも入ってしまうことになります。そうすると、組んでいく途中、このピースが正しいのかどうかが分からないという不安をいだいてパズルを組み続けることになります。すき間のないパズルを作るためには、カードボードの素材、カットの技術も重要ですが、もうひとつ刃の摩耗ということがあります。何万個ものパズルをカットするうちに、刃は段々切れなくなり、最後の方はカードボードを押しつぶすようになります、そうなるとピースとピースの間隔が広がりますので当然ゆるくなり、間違ったピースが入ることになってしまいます。そこでテンヨーでは、一定の数量までカットしても品質が変わらなくするための、まったく独自の技術を開発しました。その手法についてはご紹介できませんが、これによって、安定した品質のパズルをお届けすることができるようになりました。

さて、そのようにピッタリ組み上がるジグソーパズルを開発したものの、こんどは、それをバラバラにする方法を考えなければなりませんでした。組み合せがゆるいパズルならば、バラバラにするのは簡単ですが、しっかり組み合っている品質の良いジグソーパズルを完全にバラバラにする技術を開発することは、思ったより大変でした。

私たちはジグソーパズルの魅力に惹かれ、最初の頃は年に合計20万〜30万ピースのジグソーパズルを組んでいましたが、それは品質管理と紛失ピースの確率追求も大きな目的でした。日本のように四季があり高温、多湿、乾燥を繰り返す土地で品質を安定させることは、合紙を繰り返すジグソーパズルにとって大変でした。いまでも自社の新製品は実際に組んでみて、品質の情報を工場に流し、品質向上のデータ作りに役立てております。


<ピースの紛失とサービスカードの発明>
いままでに私たちは、5000箱のジグソーパズルを組んでおり、平均1箱600ピースとして合計300万ピースを組み上げた計算になりますが、紛失ピースが見つかったのはたった3箱しかありません、2ピース以上が同時に無かったケースは皆無です。しかし、組み上がった時にピースが無いとがっかりした事は沢山ありました、しかしそれらのピースはあとになって、庭から、コタツの布団の中から、ズボンの裾から、掃除機の中から、屑箱の中から、遠く離れた灰皿の中から等、考えられない場所から見つかりました。

それらの経験から、時間をかけて楽しむジグソーパズルにとって、紛失ピースの問題は避けることができないと判断しました。そこでサービスセンターを設置し、商品の中に入れた請求カードに必要なピースの位置を書いてお送りいただけば、そのピースだけをお送りするシステムを作り上げました。いまではフリーダイヤルのファクスでも受けられるようにして、即日紛失ピースをお送りする体制をコンピュータを使って作っております。このように、テンヨーのジグソーパズルは印刷、品質、管理、サービス、どれを取り上げても世界一と自負しています。


<最後に>
このような事を続けながら30年の歳月が流れてしまいました。68歳になった今ではペースダウンし、年に5万ピース前後しか組み上げていませんが、ジグソーパズルの魅力は全く変わりません。ジグソーパズルが目の前にあれば毎日楽しんでおります。ジグソーパズルが日本に普及するまでには、さまざまな苦労がありましたが、いまではすっかり一つのカテゴリーとして認められています。多くのTVコマーシャルにモチーフとしてジグソーパズルが採用され、NHKの“日本人の質問”では出演者の似顔絵のジグソーパズルがプレゼントされたり、マイクロソフト社の製品などにパズルのパターンが使われているのを拝見すると、ジグソーパズルが日本の社会に溶け込んでいるのは本当にありがたい事だと思います。230年の歴史と世界中の人々に愛し続けられたジグソーパズルは、益々ファンを魅了し続ける事でしょう。